江戸時代の食事に生活習慣病がほぼなかった理由
前回の記事で、江戸時代まで遡って食生活を見直している話を書きました。 「なぜ江戸時代なのか」を、今回はもう少し掘り下げてみます。 そもそも「生活習慣病」という言葉自体が新しい 意外と知られていませんが、「生活習慣病」という言葉は、1996年(平成8年)に厚生省(当時)が「成人病」から名称変更して生まれた、比較的新しい言葉です。 子どもの頃からの生活習慣の積み重ねが発症に関わっていることが分かってきたため、年齢ではなく「生活習慣」に着目した呼び方に変えたのだそうです。 つまり、江戸時代に「生活習慣病」という概念自体があったわけではありません。ただ、現代でいう糖尿病・高血圧・脂質異常症のような病気は、当時はかなり少なかったと考えられています。 その理由を、食事の内容から見ていきます。 江戸の食卓に「なかったもの」 現代の食卓に当たり前にあって、江戸時代にはほぼなかったもの。 植物油:江戸時代の前期〜中期、植物油は庶民にとって高価な貴重品でした。生産量自体が少なく、油は主に行灯(あんどん)の灯りに使うためのもので、料理に使う庶民はほとんどいなかったそうです。菜種油の生産が増えて庶民の食卓に食用油が広まったのは、江戸時代も中期以降になってからでした。 砂糖:江戸前期〜中期、砂糖は薬屋で「薬」として売られるほどの貴重品で、流通も薬種問屋を通していました。庶民の甘味は干し柿・甘酒・水飴が中心で、砂糖が庶民に広まったのは江戸後期からです。 小麦パン:主食は米で、小麦は麺類(うどん・そば)に使われることはあっても、パンが主食になることはありませんでした。 超加工食品:当然ながら存在しません。 つまり、今の私たちが減らそうとしている「植物油・砂糖・小麦粉・超加工食品」は、江戸時代の庶民にとっては元々ほとんど手の届かないものだった、ということになります。 食事の形も、今よりずっとシンプルだった 江戸の長屋暮らしの庶民の食事は、基本的に「一汁一菜」。ご飯と汁物、おかずが一品、あとは漬物程度というのが標準でした。多くても一汁二菜くらいです。 タンパク源は豆腐など大豆製品が中心。品数も量も、今の食卓と比べるとかなり少なかったはずです。 現代は「品数が多い=豊か」というイメージがありますが、口に入れるものの種類そのものが少なければ、それだけ体に入ってくる糖・脂質・添加物の総量も自然と少なくなります。 美化はしない:江戸の庶民は「白米」を食べすぎていた ここまで聞くと「江戸時代の食事は完璧に健康的だった」と思ってしまいそうですが、そうではありません。 実は江戸の町人は、玄米や雑穀ではなく白米を1日4〜5合も食べる、むしろ白米に偏った食生活でした(玄米や雑穀が中心だったのは、年貢で米を取られていた農民の方です)。 その結果、ビタミンB1不足による「脚気(かっけ)」が江戸の町で大流行し、「江戸患い」と呼ばれるほどの社会問題になりました。地方に帰ると自然に治ることが多かったため、原因が江戸の食生活にあることは当時から経験的に知られていたそうです。 つまり、江戸時代の食事は「砂糖・植物油・小麦粉・超加工食品が少なかった」という点では現代よりシンプルでしたが、「白米に偏りすぎて別の栄養不足を起こしていた」という別の問題を抱えていました。 「昔に戻れば健康になる」という単純な話ではない、ということです。 私が江戸時代から借りているのは「量」と「種類」の感覚 私が実践しているのは、江戸時代の生活をそのまま真似することではありません。 「現代になって増えたもの(植物油・砂糖・小麦粉・超加工食品)を、少し減らしてみる」という発想だけを借りています。 実際に2週間試してみて、鼻のテカリが減ったり、風呂の油膜が減ったり、舌が変わったりという変化があったのは、以前の記事に書いた通りです。 完璧な健康法を探しているわけでも、江戸時代を美化したいわけでもありません。ただ、「今、当たり前に食べているものが、実はここ数十年で急に増えたものかもしれない」と知っておくことには意味があると思っています。 参考にした情報: e-ヘルスネット(厚生労働省)「生活習慣病とは?」 農畜産業振興機構「江戸時代の砂糖食文化」 パールエース「庶民に広まる砂糖(江戸時代3)」 植物油 - Wikipedia 脚気の発生:農林水産省 日本食文化の醤油を知る「江戸庶民の食事|江戸と白米」